歯のはなし 2006年6月号
    <ショック!!!>

 私が子供の頃、当時を懐古してみると2Fの待合室は6畳のたたみの真中に大きな火鉢がありました。毎朝、その火鉢の火を起こすのが自分の役目でした。治療室は、腰かけの椅子が2台と、大小のレントゲンの設備が揃っていました。毎日の患者数は100名位で、治療中父は、患者さんと話す時間もあまりないような忙しさでした。

 また、技工士もいなかったため、夕食後は、新聞紙を広げて義歯の樹脂を沸騰させ、固めた金属製のフラスコのまわりの石膏を、ハサミで義歯に傷をつけないように切り出したものでした。そのような父のお手伝いをしていたあの頃が懐かしく思われます。

 その頃、遠方からの患者さんも多く来院されていたのですが、料金の未払い者もいて、母と一緒に月末、集金に歩き回ったこともありました。約束で支払うといっても無理な患者さんは、お金の代わりに家具やお米などを持ってきていた方もおりました。

今でも残念なことは一つあります。それは、祖父の時から使用していた足踏みエンジンです。この動力は字の通り、足で踏み込むと回転して、細い銅鉄線が回転し、ハンドピースの切削バーが回転し、歯を削る仕組みになっていました。父は、治療が終わると足が棒のようになったと言っていました。

この頃は、移行期で電気エンジンに変わって昭和30年頃からオイルタービンが普及し始た時期で、大学を卒業して治療に従事してすぐに、北大の歯科理工学教室へこの足踏みエンジンを寄贈しました。ところが、2年前懐かしくなり、歴史的な骨董品をホームページの記録に残そうと思い、デジタルカメラを持って北大歯学部へ訪れたのですが、すでに廃棄処分されていたのです。ああ、何としたことか、歯科治療の歴史をとどめ、物語る貴重な証の品なのに「猫に小判」とはこの事か、と残念に思いました。その日は、何ともったいない事かと興奮してなかなか寝れませんでしたが…。